壁になりたいというオタクへ

ずっと前から物申したいと思っていた。推しの部屋の壁になりたい、というオタクが理解できない。壁に限らず、床になりたい、観葉植物になりたいなどなど。そしてこれは自称「腐女子」に多い。確かに、その気持ち、絶対に絶対にわからないか、と言われればそうではない。だがこの部屋の一部になりたい発言は、どこまで本気なのか??オタク特有の、心の底から言っているわけではないがそれくらいの気持ちです、的なテンションにいい加減うんざりなのである。これは部屋の一部になりたいという、理解のある出しゃばらないオタクであるという自分を見せかけるのに有効活用されているよな??本当に真剣に考えてみて欲しい。もし、推しカプの情事を見るために、部屋の壁になったとしますよね?もしその部屋が賃貸だったら?運よくあと数年はセックスに立ち会えたとしても、その後は?一度壁になったらもう戻れないんだぞ?まずそもそも壁を軽んじてるのではないか。壁に敬意を払って、「壁様、どうかこの不束者の私を壁の一員にさせてくださいまし」とでもいえばまだいい。しかしオタクどもは「壁でもいいから」という風に、壁を自分より下のものとみなしているのである。そんな奴に壁になれる権利が与えられるわけなくね。そして何よりこのネタ使い古されすぎた。もう飽きた。このノリ寒い。寒いのよ。真剣に壁になりたい奴はいくらでも言ってくれて構わないが、私は推しカプのセックスを見るために壁になるなんて絶対に嫌だね。ちゃんと私は私として存在しつつ人のセックスを鑑賞したい。私という人間に見られていることを意識しながら、セックスに励め!!私はあなたがたと違って、自分の欲を壁に押し付けず覚悟を持ってやっているので・・・みんな覚悟を持った方がいいよ。本当に願いを叶えたいならね。

私は推しカプのセックスを見ながら酒を飲み時たまオカズにし、ちゃんと記録に残して自分の足でお家に帰りたい。そしてその映像や写真を見て家で何度もシコるよ。じゃあな